「県人会」というものがある。「ふるさと」から遠くな離れた地域で頑張る同じ県の出身者が集まって親睦を深めるものである。県単位に限らず「東北県人会」のようなブロック単位のものもあるようだ。三重県にも「県人会」があって規模の大きなものでは「東京三重県人会」や「関西三重県人会」があるようだ。私も以前、友人に誘われて「関西三重県人会」に参加したことがある。多くの企業や各種団体、知事はじめ自治体の首長や県出身の政治家、有名人などが顔を揃える盛大なイベントであった。華やかで楽しく、参加できて本当に良かったと思っている。企画主催していただいた方々には感謝の気持ちで一杯だ。でも、何より驚いたのがその「エンディング」であった。歌詞カードが配られ、全員で「ふるさと」を歌うのである。五木ひろしさんの「ふるさと」ではない。童謡の「兎追いしかの山 ~」というやつである。「何ということだ!」私は絶句した。遠く離れた東京で「ふるさと」を歌うのならわかるが、三重県出身者が大阪で「ふるさと」を歌うのは理解できなかったのである。伊賀地区はもちろん、中勢地区でさえ大阪に通勤・通学している人は決して少なくない。実際「伊勢中川駅」から大阪に通勤している人を私は知っている。それも「特急」でなく普通に「急行」でだ。大阪教育大学や近畿大学に通学している学生もいるのである。遠距離とはいえ立派な「通勤・通学圏」だ。そんな距離感で「ふるさと」を歌う感覚が私には理解できなかったのである。毎日の通勤・通学先で「ふるさと」を懐かしんでいるわけがない。そこで、この県人会の案内をよく読むと「ふるさと三重県と関西の架け橋になる」といった趣旨のことが書かれていた。「何ということだ!」ここでも私は絶句した。これではまるで三重県と関西が一つのまとまりになっているのではなく、分断されているいう意味ではないか・・・。そして帰路の近鉄電車内で私の妄想は膨らんだ。それは「ブロック単位の県人会」である。新聞で「三重九州人会」というものがあることを読んだことがある。三重県に暮らす九州7県出身の方々が集まって親睦を深めるもののようである。「お国言葉」で郷里の話題に花を咲かせて盛り上がる最高に楽しい時間だ。もしも「東海県人会」などという会があったとしたらどうだろう。愛知・岐阜の人たちと「お国言葉」=「東海東山方言」のアクセントで「今年の中日は強いでヨー」「お値打ちだがね!」と言って盛り上がるのだろうか???